事実が大事なのか現実が大事なのか

とりとめない話ですが最近考えるテーマの1つ。

仕事でも歴史認識でももめるテーマの1つだと思う。



過去にこれこれこういうことがあったからこうするべき。

いやいや今現実にこういうことで苦しんでいる人がいるのだから
こうするべき。



こういう関連で大きな問題ってたいがい、
正しい歴史認識事実認識を持とうと言っても、
じゃあその"正しい"ということを誰も証明できない
状態になっている。

過去にあった事実は、情報の錯綜や意図的な
情報操作によって、それが本当に正確な情報なのかが怪しい。
それをどれほど研究したとしても、それを
100%の人が正しいということはきっとない。

でも事実が違うのであれば、今現実に陥っている
問題に巻き込まれていること自体が意味がない。

後になって"どっちが正しいのか"という話をしても、
一方が自分の過ちを認めることが無い限りわからない。

後で100%あっちが正しいということになっても、
それについてもめたり、苦しんだりしている人達は
釈然としない気がする。



どうすれば解決できるんだろうか。


出てくるのはきちんと対話することくらいか。

そもそも時間と争いのために溝が深くなる前に
事実を明確化し、きちんと対話することが
大事なのはそうだろう。


でも溝が深くなればそんなことでは解決できない気がする。


よくわからん。